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女子大生だって白

白アンスコというとどうしても女子高生のイメージがありますが、70年代は女子大生だって白アンスコが当たり前でした。

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これは77年春の立大のチアです。
余りチアっぽくないというか、普段着みたいな黄色の単色のワンピースというのもある意味新鮮ですが、注目すべきはアンスコ!
気のせいかも知れませんが、何となく微妙に黒いものが透けて見えるような?
まさかとは思いますが、アンスコではなく生パンだったという可能性も捨て切れません。
キリスト教系で割りとお上品な学校ではありますが、当時の大学の応援団の体質を考えれば下級生はアンスコを穿くことが許されなかったという妄想もありかと(笑)。

右から2番目の娘の無邪気な笑顔に対して、右端の娘の恥ずかしそうな視線は何となく「やっぱりパンティ思いっきり見えちゃってるよぉ」と訴えかけているようにも見えます。
この視線が「見られてもいいアンスコではない」ことの証明の可能性はあります。

もう1枚、これは翌78年春の立大チアです。
これまた正直チアっぽくないコスチュームです。

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この当時、女子大生の間ではテニスブームがありました。
どの大学もテニスのサークルが盛況を呈していたものです。
恐らく彼女たちにしてみれば、白のアンスコはテニスウェアの一部という感覚だったんでしょう。
だから特に恥ずかしいと思うこともなく、むしろ可愛いらしいという気持ちで喜んで着けていた?

またバトンの演技も当時の六大学の特徴です。
当時は各校とも「応援団バトントワラーズ」というのが概ね正式名称でした。
日本で最初の「チア」は60年の早慶戦で慶應の応援席に登場した、当時慶應女子高在学中の高山藍子さんというのが定説になっていますが、彼女はもともと日本人バトントワラーの第1号でもあります。

その影響で特に六大学のチアはバトンをベースにして発展してきた経緯があります。
70年代にはチアリーダーとバトントワラーが往々にして一緒くたみたいな呼ばれ方をしていたのは、こういう背景もあってのことです。
(勿論当時はまだ競技としてのチアリーディングが日本では定着していなかったこともありますが)

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これは76年秋の法大ですが、応援というよりは明らかにパレード仕様のバトントワラーです。
年齢的には女子高生とせいぜい3,4歳の差でしかないんですが、女子大生がこうした格好をすると不思議なお色気が出てくるものです。
丁度かの江川投手の全盛期でもあり、神宮には毎試合多くのファンが詰め掛ける盛況でした。
ほぼ毎週のようにNHKでも中継がありましたが、六大学の場合攻守交替のイニングの合間にチアが演技するというしきたりがあり、CMのないNHKではイニングの間にスタンドの応援風景をよく映していたものでした。
そんな中でステージに立ち演技する彼女たちは間違いなく幸せだったと思います。

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もう1枚、これは78年の明大です。
こちらはチア風のコスチュームですが、フリルたっぷりの白アンスコが眩しい!
いずれもこの当時間違いなく白がトレンドであったことを示す歴史的資料だと思います。

実はこの4枚はいずれも週刊ベースボールに掲載されたものです。
こうした雑誌にアンスコ満開ショットが載っている!
ある意味のどかな時代でした。

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